俳優 藤岡 弘は初代仮面ライダー
「林修の今でしょ講座」仮面ライダー50周年特別企画に出演
藤岡弘さんが当時、撮影中のすごいバイク事故で
何十㍍も吹っ飛ばされ、考えられないような怪我を負いました
事故の詳細と怪我の内容、事故現場などをまとめました。
藤岡 弘、 プロフィール
出典:Instagram
本名 藤岡 邦弘 ふじおか くにひろ
生年月日 1946年2月19日(75歳)
出生地 愛媛県上浮穴郡久万高原町
身長 180 cm
血液型 O型
活動期間 1965年 – 現在
俳優、タレント、武道家、声優、歌手、探検家
子ども達の為にも?若々しい~
藤岡弘さんには美男美女の4人のお子さんがいる。

出典:pinterst
藤岡 弘、 撮影中のバイク事故詳細
出典:Topics
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過去の取材記事によると
当時は通常のアクションシーンもスタッフ全員が暗中模索で
何もかも実験的な状況でした。
極端にに視界の悪い仮面とコスチュームを身に着け
重い偽装でバランスの悪いバイクでバイクアクションも
自分でこなしていました。あの頃は役者自身が危険な
アクションシーンもこなすことが普通でした。
無理があるのを意識しつつ、あくまで自己責任であることを
覚悟していました。
怖すぎる、当時は何をどうすればいいのか正解がなかったんですね
事故が起きてしまったのがまだ1話目も放送される前の
10話目の撮影中だったと言います
撮影中下り坂のコーナーを曲がりきれなくて激突しました。
当時付近の工事車両が落としていった砂利が道に多く残っていて、
砂利にタイヤがつかまりスリップ、コントロール失って電柱に突進
バイクはそのまま電柱に激突、藤岡弘さんは運よく電柱を支える
ワイヤーに左足がひっかかり激突は免れました。
しかしそのワイヤーの反動で藤岡弘さんの身体は20~30mも
飛ばされたそうです。
出典:特撮まとめちゃんねる
あの頃はヘルメット着用の規制も無かったんですよね
よくぞ生きていた! 怖すぎる怖すぎる
ちょっと転んだだけでとんでもないことになりそう
藤岡 弘、 撮影中のバイク事故現場
仮面ライダーファンの間では、この事故は有名な話だそうで
事故現場テレビで公表されていました。
出典:NHK 数年後の画像
出典:ロケ地大画報
正面の坂道を下ってきて、画面左に駆け抜けるシーン
だったのでしょうか、画面中央にある黄色いカバーで巻かれている
ワイヤーに引っかかったんですね
ここは町田市の鶴川団地へとつながる道です。
現在近くにはユニクロやコメダなどがあります。
撮影当時は造成中の地域で、ほとんど何もない状態
撮影にも便利だったんですね
藤岡 弘、 壮絶な怪我の詳細
事故直後はまだ意識があり、背中のうしろの方から肩越しに
見えていた自分の左足を元の位置に戻し、靴が脱げていたため、
親指が動くかを確認し、かすかに動いたことに安心したところ
意識を失ったそうです。
自分の左足を元の位置に戻すって、一体・・・・
考えただけで気絶しそうです。
「はい、粉砕です。バラバラでした。その当時は、
大腿骨粉砕骨折の手術技術では、私のそのときの事故の状況ですと、手術しても障害が残ってしまうということだったんです。
最初に運ばれた病院は昔のままの固定した治療法しかしないところで、
後に、都内の病院に何とか転院しました。通常の手術では一生不自由になると言われました。
それでベトナム戦争時に開発された手術があるから試してみるかと
提案されて、治る保証はないんですけど、それしか方法がなかったものですから私もOKしました。
とても危険な状態だったようですぐに手術しなければ危険だと
いう事で翌日には手術となりました。
転院した病院に入院できた時には、足が3倍ぐらいに腫れ上がっていて
「もうこのままいったら本当に駄目だった」と言われたそうです。
大腿骨がバラバラになって、その折れた骨の破片が筋肉に
突き刺さっていて、レントゲンを撮ったら
大変な状態になっていた。
手術には丸一日かかり、大手術だった。
割れた骨の破片が筋肉に食い込んでいたので、筋肉を切って
ピンセットで一つ一つ外していって…。
そして大腿骨の骨髄の中に金属パイプを通して骨にジョイントして、
それに骨の破片を全部くっつけていて針金で巻く手術でした。
それでも完全に回復するかどうかはわからないと
言われたそうですが、手術自体は成功しました。
藤岡 弘、 壮絶怪我のリハビリも過酷
再起不能、車イス生活も覚悟しなければならないほどの怪我
リハビリも想像以上に過酷なものでした。
それも病院が指導するリハビリの他の部分だった
「筋肉を切ってますからね。その筋肉を回復させるためには
強化しなければいけなくて。当時、有名な心ある整骨院の先生が、
そのままにしていたら退化してしまうから、無理をしてでもそこに力を加えなければいけないと言って、
私にとてつもない無理をさせたんですよ。もう毎日高熱を出してましたが、鍛えたことで炎症を起こして
更に熱が出ちゃったり。それでもいいから刺激を与えなさいと言うことで、
無理して刺激を与え続けてね。残された筋肉を巨大化するためには圧を加えて膨らませ、
切ってしまった筋肉を補って回復させていくしかないということで」「頭では理解できるんだけど、実際にやってみるとね。
痛いし、痛みで夜も寝られない。水たまりになるぐらい汗をビッショリかいて、それでもやらないといけない。
半年ぐらいですかね。毎日やりました。怒られるから、毎晩、看護師さんが寝静まった後、
汗びっしょりかいてやっていたんですけど、疲れ果てて昼間は昏睡(こんすい)状態のような感じで
寝ちゃってましたね。
看護師さんたちは私のことを
寝てばかりいる人だと思っていたでしょうね(笑)。でも、その先生のおかげもあり、回復できたと思っています。
もう二度とあの経験はしたくないなあ。本当に大変でした」
こんなに苦労して痛い思いをしてリハビリをしても、本当に治るのか
常に不安だったそうです。あ~、昭和の人ってすごい
何だか次元が違うな・・・
母が毎日病院に来てくれて、病院の食事はダメだと言って、
作って運んでくれて、私の好きなものを食べさせてくれましたし、ずっと背中に手を入れてさすってくれるんですよ。
寝ていると背中が癒着しちゃってかゆくなって大変なんですよね。それで母が背中に手を入れてさすってくれて
すごく助かりました。痒みもなくなるしね。
気がつくと朝になっていて、
母が背中に手を突っ込んだまま寝てるんですよ。
その母の看病してくれている姿を見ていると涙が出てきて、
母のためにも頑張らなきゃいけないなって…
お母様はとてもとても心配したでしょうね、お母様のエピソードを
Wikipediaや他の記事で読みましたが、印象としては
ドラマ「JINー仁ー]の綾瀬はるかさん演じる「咲」の母上みたい
出典:TBS
武士たるもの!情け容赦は許しませんよ!ってイメージです
「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、
私があなたの命をいただきます。
そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」
弁解しようとすると
「ならぬものはなりません! 先祖の血を汚してはいけません、
ちゃんと先祖に謝りなさい!」と、一切の反論を認めなかった。引用:Wikipedia
これ、藤岡弘さんのお母様のお言葉
(ドラマのセリフではありません)
えええっ、昔の人ってホントすごい
藤岡 弘、 撮影復帰するも恐怖
出典:テレビ朝日
スタッフに脚に鉄の棒が入っていることを内緒にして
撮影に復帰したそうなんですが、
もしその棒が曲がってしまうと、一生抜けなくて不自由になるから。
くれぐれも気をつけてくれと言われたそうです。
勿論撮影に戻るなんて大反対されたそうですが、藤岡さんは
スタッフが自分の復帰のチャンスを整えてくれたことに、
しっかりとこたえなければとその強靭な精神力から
覚悟を決め、撮影に復帰されたそうです。
しかしそのような現場ですから何が起こるかわからない。
内心、毎回恐怖と戦いながら撮影に挑んでいたそうです。
撮影中、ワーッと走っていったら腰のあたりが
何かおかしいと感じ、手を入れたら血がついていたんです。鉄の棒を入れたところが、裂けて血が出てたんです。
これはヤバいと思って、ガムテープでグルグル巻きにして、
撮影に戻ったんですけど。
いやいやいや、ヤバすぎるでしょ、怖くて聞いていられない
命がけだ・・・藤岡弘さん凄い人だと思っていたけど
想像以上のすごい人だった。
仮面ライダーはこんな伝説がいっぱいあるのかも
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