宮世琉弥【りゅうび】妹伊達花彩【かあや】は石巻出身 震災の時ふたりは?

気になるシリーズ

「僕らが殺した、最愛のキミ」に出演の17歳の人気俳優
宮世琉弥みやせりゅうびさん

妹が3人いて年子の妹は一緒にスカウトされた
伊達花彩だてかあやさん

二人は東北石巻出身、震災の時二人は何歳だった?

大丈夫だったのか気になって調べてみました。

宮世琉弥 みやせ りゅうび プロフィール


Livedoor

活動名 :宮世琉弥(みやせ りゅうび)
本名  :亀井琉弥(かめい りゅうび)
生年月日:2004年1月22日 17歳(2021年)
出身地 :宮城県
身長  :176センチ
血液型 :AB型
事務所 :スターダストプロモーション制作3部所属
趣味  :映画鑑賞・ファッション巡り・写真
特技  :ギター・歌唱・野球
家族  :両親と妹3人

年子の妹が伊達花彩さん

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伊達花彩 だて かあや プロフィール


出典:Amebaブログ

活動名 :伊達花彩(だて かあや)
本名  :亀井花彩(かめい かあや)
生年月日:2005年3月21日 16歳(2021年)
出身地 :宮城県
身長  :157センチ
血液型 :A型
事務所 :スターダストプロモーション仙台営業所
趣味  :絵を描くこと、釣り、作品鑑賞
特技  :歌、お菓子作り
好きなもの:肉・お米・爬虫類・動物
家族  :両親と兄(りゅうび)、妹2人
 

二人は宮城県石巻市出身 震災の時は?

二人の出身地は宮城県石巻市
石巻市と聞けば誰もが震災の事を思い出しますね

 

こんなに素敵なふたり、震災の時は何歳?どうだったの?
心配になりました。

 

どんな様子だったのか過去の記事やSNSからまとめてみました

 

住んでいた家は海のすぐ近くだったそうです。
ここまで聞くととても心配ですね

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宮世琉弥 震災の時は?

琉弥さんが震災を受けたのは小学校1年生の7歳の時でした。
学校の帰りのホームルームの時で明日の持ち物などを先生から聞いて
連絡帳に書き留めていた時だそうです。

 

強烈な横揺れが続いた。筆箱の中身は散乱し、ランドセルは床にたたきつけられた。宮世は机の下に頭を隠すと、その脚を必死に押さえ、ただ時間が過ぎるのを待った。
「何が何だか分からなくて。放心状態というか。先生に指示されるまで机の下から動けませんでした。」

小学校は海から1キロの場所で標高1メートルあまりに位置していたそうです。

車で迎えに来た母親と帰宅途中に、津波に襲われた。田んぼにの中の道を走っていた時、午後3時半を回っていた。「お母さんが『洪水かな』と言ったので、後部座席に座っていた僕は窓を見たんです。水が来ているなと思って前を向いたら、水が迫ってきていた。うわっ…。何、これ…」 気付くと、車が押し流されていた。行き着いたのは水のない場所だった。「何が起こったのか、分からなかったというのが正直な感想です。

その後タイヤが地面につき、お母さんが思いっきりアクセルを踏み、
何とか逃げ切ったそうです。
ギリギリのところだったんですね

 

きっとお母さんも何が何だか分からなかったでしょう
あの頃、津波がこんなにも押し寄せるとは思っていなかったですしね

 

お母さんも琉弥さんも恐怖で全身が震えていたんじゃないでしょうか
何とか逃れることが出来て本当に良かったです

 

この時の様子に妹さんたちの事は語られていないので
一緒では無かったようですね。

まずは海に一番近い自宅からお母さんが車で小学校に向かい
きっとその後に妹の花彩さんを迎えに行ったのかもしれません。

 

花彩さんの下に妹さんが二人いる事から
お母さんはこの時お腹に下の妹さんがいたかもしれないですね

 

 
 
 
 
 
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伊達花彩 震災の時は?

花彩さんは震災の時、幼稚園にいました。

年長さんで幼稚園にいたとき
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴって
すごい地震がきたの⛰
すっごい怖くて全力で泣いてた記憶がある💦
引用:いきなり東北産ブログ

 

「ただただ泣き叫んでいた」と他の取材でも答えていました。
いつお兄さんの琉弥さんとお母さんと再会できたんでしょう

幼稚園の先生も動揺し泣き叫ぶ子供たちを
何とか守るために大変だったと思います。

 

幼稚園の方が小学校よりも高台にあったか
小学校の先に幼稚園がある位置関係だったのかもしれないですね

 

その日は家には帰れず車中泊をしたそうです
あの頃、東北の3月はまだ雪が降っていましたね

 

車中泊で、寒さもあった事でしょう
本当に大変でしたね

震災の時、お父さんは仕事で出張に行っており
石巻には居なくて、連絡をお互いにとりたくても
電話がつながらない状態が随分続き
家族が再開するまでに時間がかかったそうです

 

確かにあの時は交通網も全てダメになり
被災地に入るのも大変だった記憶があります

お母さんが一番つらかったと思うのに
頑張って笑顔を作って
私たちを心配させないようにしてくれた

お母さんつらかったでしょうね
心細かったと思います

それからしばらくは、石巻市内のいとこの家で過ごしたそうです

 

3月下旬、自宅に戻ると家は流され、
慣れ親しんだ景色は跡形もなかった。どこに家があったのか
まるで分からなかったそうです。何もかも流されていたのに

 

家があったであろう場所で、飼っていた柴犬がそこで
亡くなっていました。犬小屋も流れたのに
どうにか戻ってきたんですね

 

「不思議ですけど(犬は)そこにいてくれた。家を守ってくれていたんだなって」

 

花彩さんは震災後、夜泣きがつづき
そのたびに疲れ切っているであろうお母さんが
毎日抱っこしてくれて
眠りにつくことが出来たのだそう

花彩さんが描くお絵描きも以前とはまるで違って
真っ黒な絵になったそう
両親が心配して病院にも連れて行ったそうです

 

この頃、こういったお子さんが多くいたのが想像できますね
震災は大きな爪痕をこんな小さな子供達にも残していきました

それから「楽しい事をしよう大作戦」を行うようになり笑顔を
取り戻していったそうです。

 

 
 
 
 
 
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二人が目指す目標

 

小学1年、7歳の時に被災し、津波に襲われた。「(亡くなった)その人たちの分まで生きなさい」というお母さんの言葉が二人に印象深く残っているそうです。

 

不安や絶望感で、何の希望も持てなかった時
「復幸祭」イベントに出演した、ももいろクローバーZ

 

「テレビでしか見たことない人が目の前にいた。一瞬にして雰囲気が変わり、明るい空気になった。その時、僕も人を元気づける仕事がしたいと思いました」

 

これは妹の花彩さんも同じで、
「復興ライブはとても晴れやかな気持ちになり
なにもかも吹っ飛ばす!みたいな気持ちになれました
そんな人に自分もなりたい」と思ったそうです。

 

数年後、琉弥さんが小6、花彩さんが小5の時
ショッピングモールでスカウトされて、二人とも
スターダストプロモーション仙台営業所に所属したそうです。

 

いつか震災をテーマにした映画作りが目標だそうです。
大変な経験をしたふたり、今後も応援したいですね。

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